有馬記念の有馬とは?名前の由来をチェック

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有馬記念の「有馬」とは?

名前の由来は?

が分かります。

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有馬記念の「有馬」とは?名前の由来は?

第1回は「中山グランプリ」だった

時期歴史日本中央競馬会
理事長
1923年競馬法制定
1936年日本競馬会設立
1948年7月GHQにより閉鎖指示(独占禁止法に抵触)
競馬法施行に伴い日本競馬会解散

農林省競馬部により運営(国営競馬)
1951年「競馬民営化論」が提唱

サンフランシスコ平和条約調印
日本の主権が回復

民営化論の活発化
1954年民営(農林省監督)による
競馬施行体「日本中央競馬会」発足

控除率が高く不人気に

経営難
初代理事長
安田伊左衛門(競馬翁)
1955年4月4日〜中山競馬場老朽化問題

大規模改修のお金がない

日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律(有馬特例法)成立
第2代理事長
有馬頼寧(第1次近衛内閣・農相)
1956年10月13日中山競馬場のスタンド新築を含む第1期工事が竣工同上
1956年12月23日中山競馬場において第1回「中山グランプリ」(仮称)開催同上
1957年1月9日有馬頼寧が肺炎により急逝
1957年11月23日「中山グランプリ」

「有馬記念(グランプリ)」に改称

ざっくりとした日本中央競馬会と中山競馬場の歴史を見てみると、もともと「有馬記念」の名称は「中山グランプリ」。しかも仮称です。

当初名前が決まらず、第1回競走の投票用紙に競走名の案を書く欄も設けられたほど。

ですが、投票でもパチっとする名称がなかったようで、仮称のまま「第1回中山グランプリ」が興行されています。

「第1回中山グランプリ」の当日の入場者は2万7801人。当時中山では1万人入れば大入りの時代で、興行は大盛況となります。

「有馬記念」の名称になったのは?

ところが、「第1回中山グランプリ」が大盛況に終わった17日後に第2代理事長・有馬頼寧氏が肺炎で急逝。

「有馬特例法」や「中山グランプリ」の発案(「ファン投票による出走馬選定」の企画)など彼の功績を称え、第2回競走から「有馬記念」に改称されます。

まとめ

・有馬記念の名前は日本中央競馬会第2代理事長、有馬頼寧氏に由来

参考:https://jra.jp/keiba/thisweek/2021/1226_1/race.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E8%A8%98%E5%BF%B5

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